阿仏尼 鎌倉時代後期、鎌倉幕府軍は襲来した元軍をなんとか退けました。しかし、国内の敵と戦うのと違って、勝っても相手の土地を奪えませんでした。 幕府は働いた武士たちに十分な恩賞を出せず、武士たちの中には戦いに費やした費用を払うために領地を手放す者までいました。鎌倉幕府は徳政令を出して、武士たちの負担を帳消しにしようとしましたが、人々の信用を失っただけでした。
そのようすを見て、後醍醐天皇は天皇が政治を行う昔の時代にもどそうと活動をお始めになりました。撫(な)で身代わり様のもととなった村上義隆様のお話は、そんな折りに生まれました。

1333(元弘3)年正月16日、幕府の二階堂貞藤の軍が、後醍醐天皇の皇子、 護良(もりなが)親王が立てこもる吉野の山城に攻めて来ました。 山城は幕府軍によって陥落寸前まで追い詰められ、護良親王は「もはやこれまで」と覚悟を決めて、別れの酒宴を開かれました。そこへ体中に矢の刺さった姿で村上義隆様が現われ、 護良親王に鎧や直垂を脱いで頂いてご自分が着用し、「私は護良親王だ。腹を切る手本にせよ!」と言うと見事に腹を切り、壮絶な最期を遂げられたのでございます。
その間に護良親王は落ち延びられましたが、ついに幕府軍に捕えられ、土牢に幽閉されて亡くなりました。

はるかに時代が下って明治時代、護良親王を祭神とする鎌倉宮(大塔宮)が創建され、摂社として村上義隆様をまつる村上社もつくられました。 さらに2004(平成16)年、鎌倉宮の境内にあった樹齢103年のケヤキの大木で村上義隆様の姿が彫り上げられて入魂されました。 像は撫で身代わり様と名づけられ、膝が悪い人は撫で身代わり様の膝をなで、腰が痛い人は撫で身代わり様の腰をなでて、回復を願うようになりました。
自分の命を捨てて主君を助けようとした村上義隆様の行為が感動を呼び、今ではこの像に会うために鎌倉宮に来る方もおられます。

撫で身代わり様

▲撫で身代わり様 多くの人がなでるので、表面がつるつるしています。

身代わり人形

▲身代わり人形 後ろには参拝者が願い事を書いた人形が多数並んでいます。

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【鎌倉宮の観光情報】

●住所

〒248-0002
鎌倉市二階堂154

●電話

0467-22-0318

●拝観料

中学生以上、大人まで300円
小学生150円

●見学に要する時間

20分〜30分ほど。

●拝観時間

2月〜11月 9:30〜16:30
12月〜1月 9:30〜16:00

※原則として、閉門の30分前までに入場してください。

●休日

年中無休

●駐車場

大鳥居の左に鎌倉市観光協会直営の駐車場があります。

●車いすによる拝観

可。結都実参道(むつみさんどう)というスロープがあります。


【鎌倉宮へのアクセス】

JR鎌倉駅の4番のバス停から「大塔宮行き」に乗り、「大塔宮」下車すぐ。


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