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北条高時腹切りやぐら鎌倉幕府、終焉の地

源頼朝以来140年以上続いた鎌倉幕府にも、終わりのときがやってきました。1333年、「打倒、鎌倉幕府」の目標を掲げて挙兵した新田義貞軍に攻め込まれたのです。
新田義貞は鎌倉の通り道である7つの切通しの中から化粧坂(けわいざか)、極楽寺坂、巨副呂坂(こぶくろざか)を選んで攻撃しました。
しかし、切通しは名だたる要害です。突破できず、西の海岸の稲村ケ崎から干潮を利用して侵攻。これにより3つの切通しの防衛も破れました。
鎌倉幕府第14代執権・北条高時ら北条一門は菩提寺の東勝寺へ退き、火を放って次々と切腹。高時が出家後、第15代執権となった北条貞顕(さだあき)とそのあと第16代執権となった北条守時も戦死し、鎌倉幕府は滅びました。
東勝寺跡近くの山の斜面には、北条高時らを供養するやぐら(横穴墳墓)がつくられています。

1333年、新田義貞が「打倒、鎌倉幕府」の目標を掲げて、ついに鎌倉へ攻め込みました。
鎌倉幕府第14代執権・北条高時ら北条一門は菩提寺の東勝寺に火を放って切腹。鎌倉幕府は滅びました。
東勝寺跡近くの山の斜面には、北条高時らを供養するやぐら(横穴墳墓)がつくられています。

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北条高時腹切りやぐらへの道

腹切りやぐらへの道表示腹切りやぐらへの道表示です。これが目印です。

東勝寺橋道なりにまっすぐ行き、東勝寺橋をわたります。橋のたもとに石碑が立っています。

北条一門が自決した東勝寺の跡

東勝寺跡歩いていくと、金網に囲われた広場があります。ここが北条高時ら北条一門が自決した「鎌倉幕府最後の場所」東勝寺の跡です。

東勝寺跡広場の向こうの壁面に穴が見えます。やぐらでしょう。

祇園山へ

祇園山ハイキングコース入り口住宅地から山に入ります。この道をかなり奥まで進むのかと思いましたが、そうではありません。
(この道をまっすぐ進むと、見晴し台に出ます。)

北条高時腹切りやぐらの掲示山に入ってすぐのところに、「参拝以外の者、立入禁止」と掲示されています。ここを左に折れます。

北条高時腹切りやぐら

北条高時腹切りやぐら左を見ると、前方に北条高時腹切りやぐらが見えています。

北条高時腹切りやぐらやぐらの中には、小さな石のお墓があります。寂しくて、やはり少し怖い雰囲気があります。

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【北条高時腹切りやぐらの観光情報】

●正式名称

北条高時腹切りやぐら(ほうじょうたかときはらきりやぐら)

●つくられた年

1333年以降

●住所

〒248-0006 鎌倉市小町3-10

●電話

なし

●拝観料

不要

●見学に要する時間

5分〜10分ほど。

●拝観時間

とくになし
(照明がないので、日中に)

●休日

とくになし

●駐車場

なし

●車いすによる拝観

介添者がいれば、階段下から石碑が見えるところまで行けます。


【アクセス】

JR鎌倉駅下車、徒歩約900m。
※鎌倉駅から行く場合、鎌倉駅前から大巧寺の境内を抜けるか、鎌倉郵便局の右横、鎌倉警察署の左横などの道を東へ進み、突き当たったら左(北)へ折れて、「北条高時腹切りやぐら」の案内表示をさがしてください。


※住宅地からは20mくらいしか離れていないので、史跡に興味がある方は、それほど怖がらずに立ち寄ってみてください。


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